生きる目的が明確ならば、辛いことがあっても乗り越えることが出来る。
しかし、明確でなかったら辛いことが本当に単なる辛いこととなってしまう。
だけど、どれほどの人が生きる目的をきちんと理解しているのだろうか?
私はいろんな人に聞いてみた。
こういう事を聞くのはすごく勇気がいることだが、思い切って聞いてみた。
すると、日常を明るく元気に頑張っているほどその答えはあいまいだ。
例えば、子どもの為だったり、仕事の為だったり。生きるために生きているとかそういう答え。
死ねないから生きているとか。
それを探すために生きているとか・・・。
私から言わせれば、そんなあいまいな答えでは納得できなかった。
目的無き歩みほどむなしいほどは無い。
しかし、人生においてはそれが普通だ。
その大切な目的は明確であったほうが良いはずなのに、その目的をやんと意識する人は少ない。
生きる目的があいまいなのは、仕事やそのほかのことに盲目的に頑張っているからだ。
逆に言えば仕事に盲目的だからこそ、生きることも盲目的に考えている。
元気な人なら、そういう思考で当たり前かもしれない。
だって、なぜ生きるか?って普段から意識して考えているのはあまりいないからである。
というか、そう考えている人は病気では?と思われそうな変な質問と一般的には思われるだろう。
だが、なぜ生きるか?が明確ならば色んな生きる上での不都合にぶつかった場合、それを乗り越えていく原動力になる。
そんな、大事なことを多くの人は考えない。
多くの人が、盲目的に毎日を生きている。
確かに、それが人間の生き方とも言えるかも知れない。
しかし、21世紀になって人間を取り巻く環境はがらりとその誕生当初から変わってしまった。
生きるのに一生懸命だった紀元前から20世紀までの期間が終わったのだ。
21世紀は不安の世紀とも言われる。
盲目的に生きてきた人々はふと考える。
私の人生ってなんだったんだろう?
この漠然とした不安は何で埋めればいいのだろう?
そのような不安を伴った疑問を解決するには、やはり自分で答えを導き出すしかない。
その答えが、生きる目的なのだと思う。